若い力 演技創作への情熱

演技に込められた思いは永遠に続く・・・

「若い力」の演技を創作 稲場四郎先生

若い力の演技は、当時、石川師範学校男子部付属小学校に勤務する稲場四郎先生と野町小学校の勝尾信子先生、文部省職員の3名で創作しました。
稲場先生は、大正8年(1919年)生まれ、60歳まで教師、校長として小学校に勤務し、70歳まで保育園園長として子どもたちと楽しく過ごしました。
若いころはバレーボールで活躍し、70歳でテニスを始め、独自の練習方法などで熱心に練習を重ねてねんりんピックで優勝しました。88歳までテニスに親しみましたが、平成30年2月13日に99歳で亡くなられました。平成9年には勲五等双光旭日章を受章しておられます。

稲場四郎先生(21世紀美術館にて:稲場宏様提供)

若い力の演技は、国体を主催する大日本体育会(現 日本スポーツ協会)が金沢市体育研究会に演技の創作と指導を依頼し、稲場先生、勝尾先生、文部省職員の3名で創作しました。

この演技は、平和で明るい未来に向かって新しい日本を創っていこうという力強さを表現して動きを考案したそうです。

また、演技のひとつひとつには意味や思いが込められており、特に歌詞の「競え青春・・・」の部分で指先をまっすぐに伸ばした演技には「指先や視線の先にあるのは『明るい未来』」という稲場先生の思いが込められているとのことです。

稲場先生は、亡くなる直前まで毎年、小学校の運動会や連合体育大会に足を運ばれ、子どもたちの若い力の演技を観て喜んでいたそうです。

稲場先生のコラム(金沢市教育委員会五十年史より)

稲場四郎先生 若い力の指導(稲場宏様提供)
未来に向かっていく若者たちへ ~「若い力」に込められた思い~

みなさんは、金沢と「若い力」の歴史について知っていますか?
日本中の多くの都市が焼け野原となっていた戦後間もない昭和二十二年、戦火を免れた石川県で国民体育大会(国体)が開催されました。日本は何もかも失い、国民は老いも若きも戦争によって心も体も傷ついていました。日本が立ち直り、復興するためには特に青少年の力が必要でした。その青少年に夢と希望を抱いてほしいという願いから、平和の象徴であるスポーツの祭典が企画されたのです。

敗戦から二年・・・。混乱の中、まだ食料も乏しく、運動着すら不足していた時代でした。しかし、全国からは、一万三千人もの選手が集まり、平和と復興への思いを込め、競技場いっぱいに躍動したのです。皆が心を一つにし、若い人たちが元気で、一生懸命に夢と希望をもって挑む国体。それにふさわしい大会の歌として、「参加者全員で歌える歌を!」と作られたのが、この「若い力」でした。

この歌に合わせ文部省より依頼され、稲場四郎先生や勝尾信子先生、文部省職員の三名が中心となって振りつけを考えることになりました。稲場先生は、毎日毎日図書館に通い、猛勉強しました。これからの平和な日本を背負って立つ男女が初めて一緒に演じることで、これからの日本の幕開けとしたい。心身ともに健全な平和な国、世界づくりをしてほしい。そのためには、エネルギーがあふれ、新しい気持ちでやらなければならない。どんな動作がいいのだろうか。

そこで、稲場先生は、はじめから終わりまでの全ての振りつけの動作に意味を持たせました。例えば、「競え青春」の歌詞の時は、空に向かって手を伸ばすポーズとし、平和な世の中や明るい未来を見据える力強さを表現しようというように。とにかく平和な国の一人として生きていく。そのために心身ともに健康な人間育成の応援歌でありたい。それなら、一連の流れの中で、強く、弱く、大きく、小さく、柔らかく、ビシッ、パッと決められるようにしよう。なおかつ、ふわりと流れに乗ることができるようにも・・・。

「日本にラジオ体操」なら、「金沢に『若い力』あり!」と誇れるものにしたい!

大切な第二回国民体育大会の開会式の演技は重大でした。子どもたちに「若い力」の心、演技をしっかり先生方に依頼し、広め、はつらつと演技ができるようにしなければならない。

「力強く堂々とあれ!」そんな体操にしなければならない。

月日は経ち、苦労を重ね、何度も改良し、国体の開かれる十月に「若い力」がようやく完成しました。当時の子どもたちは、夏の炎天下にもかかわらず、何度も練習に行きました。

第二回国体開会式の会場は、現在の金沢市営陸上競技場です。その開会式のセレモニーで、市内の小学生によって初めて披露されました。緊張しながら一生懸命に演じた子どもたち。稲場先生は、戦後を担う子どもたちのあるべき姿の代表であるすべての六年生が、力強く表現してくれたという感動で胸がいっぱいになりました。

現在、「若い力」は国体の大会歌として使われています。石川国体の開会式の会場であった金沢市営陸上競技場において、金沢市内の全ての六年生が連合体育大会で、「若い力」を踊ります。約二千人ずつ二組に分かれて踊るのですが、違う学校が集まっても、一糸乱れぬ華麗な演技を披露しています。

金沢の人にとって、「若い力」は、平和と繁栄の思いが詰まった歌なのです。これからの日本を担っていく子どもたちに幸あれと願って。稲場先生の胸には、熱き思いがこみ上げてきます。「今の演技、表現が子どもたちの動作だけが伝承され演じられるのではなく、精神も中に入っていってほしい。力強さ、情けを感じる柔らかさ、これからの自分の活躍、夢・・・などを思い描きながら力強く表現し、受け継いでいってほしい。」と。

この思いを胸に抱いた金沢市内の六年生が、金沢市営陸上競技場に集います。

「若い力」は、戦後、多くの世代を越えて心をつないできたのです。

平成26年 金沢市小学校教員